■2012年3月18日 第12回 修了式 〜 講演「野菜が世界を変える」 (株)焚火 佐藤研一氏
◇「本来の自分に還る」がコンセプト
  • 私は今から3年前、自然食の宿のはしりといわれる岡山の「百姓屋敷わら」で7ヶ月間お世話になりました。そこで考えが大きく変わり、今、食、健康、美容などをテーマに単独で講演をしたり、お医者さん、ボディワーカーといわれるエステティシャン、アロマセラピスト、スキンケア協会の方々などとコラボで講演をしたりしています。

  • コンセプトは、「本来の自分に還る」。「戻る」ではなく「還る」なのは、原点を忘れずに、螺旋状にスパイラルアップしていくというイメージだからです。食をテーマにすることも多いですが、特にこだわることなく、自分のコンセプトをベースにさまざまなことをしています。自分が仕事を通じて何がしたいのか、何を提供したいのかが明確であれば、どんな広がりがあろうとも、それは手段であって目的ではないので、何をやってもいい、と思っています。
(株)焚火 佐藤研一氏
◇バックパッカーからIT企業の取締役まで
  • 20代の頃は、リュックを背負って海外をブラブラするバックパッカーでした。あるきっかけがあって海外に行ってみたら、自分の常識がひっくり返って、これは面白い、と…。丸2年かけて約25カ国を回り、老若男女、しかも多国籍な方々と触れ合うことができました。でも、旅行だけで人生が終わってはいけないと思い、帰国して職を探しました。

  • 縁があって入ったのが、広告業界でした。新聞社系の代理店で、新年などに新聞に載る連合広告や協賛広告を集め、その中から、ラジオやテレビなどの広告にも繋げられそうな新たな芽を摘んでくるという部署に配属されました。売上げがないと会社に帰れないという環境で、3日で辞める人が続出する部署だったのですが、遊んできたツケだと思い、修業のつもりで働きました。

  • 最初の半年間、私の売上げはほぼゼロでした。会社ではまるでゴミ扱い、名前すら呼んでもらえませんでした。ところが、その後、約200人いる中で営業成績1位を取り、そこからはずっとトップクラス。なぜかというと、毎日ノートをつけていたんです。今日はこんなところに行って、こんな話をした。その結果、前向きな意見をもらったとか、ネガティブな意見をもらったとか…。たまに売れたときはなぜ売れたのか、売れないときは何が原因だったのか…。売上げがないときは、泣き落としが得意な先輩の真似をしろとか、お前は声が低いから1オクターブ上げろとか、さんざんいわれましたが、自分ができないものはできません。ですから、自分のスタイルを貫き通し、自分がどういうところに気に入っていただけるのかをノートに書き続け、半年後にすべてが逆転しました。いわゆる営業営業しているのがいやだ、という方々がすべて私のお客さんになってくれたんです。会社が始まって以来、一度も広告を出してくれたことがないところもお客さんになってくれました。提供しているものは先輩たちと同じですが、その上に「自分」をのせることで、売れないものが売れるものになったり、その人の視点を変えるという提案をすれば物事は大きく変わることをそこで学びました。

  • 2年後、ようやくチームで仕事ができる部署に異動となったときに、会社が倒産してしまいました。それがちょうど2000年。これからはインターネットがキーワードになると思ったので、「広告業界+インターネット」で次の職探しをし、青山にある会社に入りました。そのとき、社員12人、年商5億でした。ちょうどインターネット広告立ち上がりの時期で、インターネットバブルなどの追い風もあり、5年後には従業員が200人を越え、売上げも100億を超えました。私は営業の統括をしていましたが、それだけでなく、いろいろな部署を立ち上げたり、採用をしたりと、たくさんの機会をいただいて、最終的には、その会社と子会社の取締役、外資系の大手と一緒に作ったジョイントベンチャーの副部長という三役を兼任して、15部署ぐらいの責任者を歴任。わずか5年の間に、こうしたことを一気に経験しました。

  • 当時はポジションも収入も素晴らしく、自分がビジネスマンとして目標としたことは全てクリアできました。ところが、もともと私も一緒に作った会社の理念と整合性がとれなくなるような事態が起きた。自分が熱く夢を語って涙を流しながら採用した人に、違うと思うことはいえません。それで、退職することにしました。自分は何のために働くのか、もう一度考え直そう、と思ったんです。

  • 仕事をしているときは、早朝から深夜まで働き、24時間365日会社のことしか考えていませんでした。会社に入って最初の3年間は休みもとらなかった。そういう状態で、自然の中に身を置きたいという気持ちがあり、海の近くに住まいを構えたんです。夜遅くなると帰るのも大変ですから、夜中まで働いて飲みに行き、会社の床に寝る、という日々がほとんどだったのですが、たまに海のそばの家に帰ると、そこで初めて仕事のことを忘れ、自分らしさを取り戻せる感覚がありました。会社では人事の責任者もしていたので、「新しい自分になる」とか「ステップアップ」とか、そればかりをキーワードにしていましたが、もっと、自分本来の部分を掘り下げるとか、自分らしく生きるとか…。そういうことを自分にも言い続けたいし、人のためにもそうしたお手伝いができるのではないかと思い、「本来の自分に還る」をコンセプトにしたことをやろうとだけ決めて、会社を辞めました。
◇「百姓屋敷わら」との出会い
  • 自給自足のコミュニティのようなイメージで、生産者の方などと寄り集まって、宿泊していただいたり、そこで暮らすことで、自分らしくなれる場所ができればと、そういうことを漠然と考えていたのですが、それをやるには仲間を集めなければなりません。で、20歳のころから趣味で料理をしていたので、短絡的に飲み屋をやろう、と思いました。茅ヶ崎の駅前で、そんな物件ないだろう、という条件のものを探していたのですが、半年目に出てきたんです。ただ、心のケアもしようと考えていたので、店で出す食べものも何でもいいというわけにはいかない。そのとき出会ったのが、「百姓屋敷わら」の船越康弘さんの講演DVDでした。

  • 船越康弘さんは30年前、岡山の今でも7世帯くらいしかないような場所で民宿を始め、広告もしなかったので、最初の半年間はお客さんが一人も来なかったそうです。ひたすら掃除に明け暮れて、来てくれた人には心からのサービスをして、自分が持っている知識もふんだんに提供した。最初は「病気が治る宿」として話題になりました。食事の指導で子どものアトピーが治った、というので全国からお母さん方が訪れ、その後は更年期障害に悩んでいる方とか末期のがん患者さんまで訪れるようになったそうです。「百姓屋敷わら」では、野菜しか出しません。そのうち、野菜だけでこんなにおいしくて、心から安らげる料理がある「おいしい野菜料理が食べられる宿」として、一般の方もたくさん来るようになりました。最初はゼロだったのが、翌年には年間3000人のお客さんが訪れるようになった、と聞いています。

  • 船越さんは28歳のとき、山ひとつ、田んぼ、畑、140年の歴史がある昔の庄屋さんの大きな古民家を手に入れて民宿を始めたそうです。私は自給自足の村をやりたいと思っていたので、ひとりでそんなことをしている人がいる。将来の役に立つかもしれないということと、船越さんの考えにすごく共感して、決まりかけた茅ヶ崎の物件も捨てて、岡山に研修に行くことにしました。

  • 「百姓屋敷わら」には7ヶ月間お世話になりました。薪を切り出して乾かし、割り、風呂もそれで焚く。農業や昔ながらの暮らし、知恵をたくさん学びました。栄養学や医学など、今、次々と新しい情報が出てきます。でも、そうした先端のものが、昔の方々が自然にやっていたことに回帰していくような気がします。昔ながらの知恵や自然、しかるべくそこにあるものには意味がある。だからといって昔に戻る必要はないので、今ある技術を使いながらどう生きていくかを考えることが大事だと感じています。

  • 私は、もともと、玄米菜食、マクロビオティック、ベジタリアンといった世界とはまったく無縁で、飽食の限りを尽くしてきましたので、会社をやめたときは、高血圧、高コレステロール、脂肪肝、肝機能障害、メタボリックと、生活習慣病の塊でした。ところが、そんな状態で「百姓屋敷わら」に行き、労働をしながら暮らしたら、90kgぐらいあった体重が67kgまで減りました。毎食3杯ぐらいはごはんを食べていたのですが、あとは野菜だけ。7ヶ月間で23kg落ちて、血液から内臓まで全部入れ替わってような感じで、その直後、38歳のときに健康診断に行ったら、お医者さんに、「20歳の身体だ」といわれました。痩せてガリガリになったわけではなく、労働もしていたので、筋骨隆々。それだけではなく、心身ともにクリアな状態でした。頭の中も透明感があるというか、スッキリしていて、心も安定している。なぜそういうことが起きたのか、すごく興味を持って、船越さんのお話を聞いたり、すすめていただいた本を読んだりもしました。その中で、キーワードになっていたのが「野菜」だったんです。
◇何を選べばいいのか、迷っている現代人
  • 私のところに、よく、病院で働いている管理栄養士の方などが相談に来られます。栄養学の情報はどんどん更新され、こちらではいいと書いてあるのにこちらではダメで、「何が正しい食事なのかわからない」と、おっしゃいます。また、自分が提供したいものが提供できないという人や、迷っている人が多い。一般の消費者も、テレビなどでトマトがいいといわれるとすぐトマトに飛びつくなど、右往左往している状態で、どういう基準で食べものを選べばいいのか、わかっていない方が大多数です。

  • マクロビオティックで、よく、「歯並び」の話が出ます。前に4本ずつ上下にある切歯は野菜を切るための歯で、犬歯は肉や魚を食いちぎる歯。その奥には臼歯という穀物をすりつぶす歯がある。32本の役割の違う歯があるということは、そういうものを食べて今の身体が作られた。で、野菜を3割前後、肉を1割ぐらい、残りの5〜6割は穀物をとると、私たちの身体にマッチするといわれています。

  • 日本人は、今のように輸入をしていなかった時代、自分たちの身辺のものしか食べられなかった。そういう時代に身体を作ってきたわけです。動物だって、ゴリラ、キリン、ゾウなどは草食動物ですから、人間よりはるかに大きい身体を野菜だけで養っている。肉を食べてたんぱく質を摂取しているわけではありません。生まれた環境に合わせて適応してきた身体があって、それに合わせた食べ方をひとつの目安にして、プラス、今の野菜は昔とはチカラが違うので、新しい考えを少しのせたら、ひとつの選択基準になるのではないでしょうか。

  • 私は「百姓屋敷わら」にいた7ヶ月間で自分の身体が入れ替わり、心身ともに健全そのものになった、この経験を踏まえた話と、ご先祖様を見て選択基準を持つということをお話すると、すごくスッキリした、といっていただけます。その後、ご自分の習慣が変わり、身体も変わったという方も非常に増えています。野菜をベースにして、これだけのことができる、ということは、私にとっても目からウロコの経験でした。
◇世界が日本に注目している
  • アメリカでは、生活習慣病が日本よりも深刻な問題で、1970年代から論議されています。医療費だけで25兆円もかかっており、国家予算を大きく圧迫している。そうした状況を解決するために、世界中の栄養学者を集め、5000ページにのぼるレポートを作りました。マクガバン氏がリーダーだったので、「マクガバン・レポート」と呼ばれ、肉、牛乳、卵などを減らして、野菜をもっと多く食べよう、という結論になっています。そのレポートには、人間の理想の食を1食挙げるとすれば、元禄時代以前の日本の食事である、と明記されています。精製技術がなかったので穀物は玄米の状態で、その玄米と野菜を中心に食べていた時代です。

  • その後、人類最大の免疫学調査といわれた「チャイナ・プロジェクト」が、アメリカのキャンベル博士のもとで行われました。中国で、同じような土壌で同じような暮らしをしている人たちを調査しました。隣の村でも、生活習慣病や死亡率などに違うところがある。似たような風土でなぜ違いが出るのかを調べて出た結論も、「マクガバン・レポート」と同じように、加工を減らして、自分の身近にあるものを、植物を中心に自然に近い形で食べる、というものでした。指揮をとったキャンベル博士の一家は、そのときから、全員菜食に変わったそうです。

  • マドンナのようなセレブや、自分の身体に敏感な人は、日本食やマクロビオティックなど、野菜中心の食事に大きくシフトしてきています。すこやかに長く、若々しく生きるために、世界は日本を見ているのですが、日本は足元を見ずに海外の栄養学を追い続けている、というのが私の感想です。

  • 今、食に関連して、食糧難や環境問題も大きなテーマになっています。ポール・マッカートニーは、「ミートフリーマンデー」といって、月曜日はお肉はやめて野菜を食べよう、という活動をしています。もとはベルギーのある市が提唱した「木曜日は野菜の日」がはじまりで、動物が出す二酸化炭素も温暖化の原因になっているので、週に1回野菜に変えて、環境問題に貢献しよう、というものです。食糧事情に関しては、われわれ北半球の人間が食べているものをシェアすれば、地球全体の食がまかなえる、といわれています。また、150 gの牛肉を育てるためには、トウモロコシ等を含めた穀物がその約12倍必要で、食べるものを穀物に変えるだけで、食糧事情は12倍も変わる、といわれています。自分がすこやかに長く生きることを考え、野菜をベースにした食事に変えるだけで、世界の食糧事情と環境問題は大きく変わる、といえます。
◇野菜、果物は売れるはず
  • 先ほど、野本理事長が、コンビニが野菜と果物を売り始めた、とおっしゃっていましたが、コンビニは小売の凝縮された世界で、売れるものしか売りません。そこで売っているということは、野菜も果物も売れる、ということです。そういう意味では、チャンスがたくさんあるのではないでしょうか。

  • 今、野菜や果物を食べる人は少ないかもしれませんが、今後、海外から考え方が入ってきて、いろいろな人が変わるのを見て、それに続く人が出てきて、大きく増える可能性はある。そのときに、何を選び、何を食べるのか。みなさんのような八百屋さんは、商品をただ右から左に流しているだけではありませんから、自分というものをのせることで、よりいい商品を買ってくださる方がいるはず、と私は確信しています。

  • 食べ物が変われば生活習慣病も減り、医療費が下がる。温暖化を含めた環境問題もクリアになり、食糧事情まで変わってくる。野菜をチョイスするという選択ひとつで、世界は大きく変わるチャンスがある、ということです。高度成長期、肉、卵、牛乳などを追いかけている時代だったら、こういうことをいってもダメだったと思います。でも、今、このタイミングでみなさんが野菜に関わっているということは、ものすごく意義があって、ものすごいチャンスがある時期なんだ、ということではないでしょうか。

  • 岡山の田舎から帰ってきたとき、本屋のレシピ本のコーナーに行ったら、「野菜で○○料理」といった野菜関係の本が増えているのが印象に残りました。流れは確実に来ている、と感じています。
◇「重ね煮」という料理法
  • 「百姓屋敷わら」で、「重ね煮」という料理法を学びました。マクロビオティックを学んだ漢方学者の小川法慶氏が考え出したもので、食べ物の陰性と陽性に合わせて層にして積んでいく。上に塩をパラリとふり、40〜50分くらいかけてじっくり火を通すと、野菜のかさが減り、甘みとうまみが最大限に引き出されます。それをもとだねにして、お湯に入れて味噌を溶けば、出汁なしでもおいしい味噌汁ができますし、ほかにもいろいろな料理に応用できます。しかも冷蔵庫で1週間ぐらい持つので、手作りのやさしい味が家庭で気軽に楽しめます。

  • 食事で身体と心は変えらます。その部分を担っている仕事は、本当に崇高だと思います。みなさんがこれまでに学んできた季節の野菜の移り変わりにもっとフォーカスして、「調理法をちょっと変えるだけで、こんなにおいしく旬の野菜が食べられる」ということを感じながら食べてもらうだけで、その人の意識は大きく変えられますし、生き方まで変えられるかもしれません。ただ単に食べ物を提供するのではなく、自分の向き合い方ひとつ、提案ひとつで多くの人を変えることができる。八百屋のみなさんは、もっと大きなうねりを作ることができる、と思っています。
◇自然食の条件
  • 今、野菜には、放射性物質、農薬、化学肥料など、さまざまな問題があります。「百姓屋敷わら」では自然食を提供していますが、自然食を探さなければいけない世の中になってしまいました。自然食を探さなければいけない世の中は、自分たちの選択の積み上げの結果なのです。

  • 「百姓屋敷わら」の船越さんは、自然食には3つの条件がある、といいます。まずひとつは、「自然に迷惑をかけない食生活」。有機・無農薬のものを食べることが自然食ではありません。その前に、自分が洗剤を流して水を汚したり、環境を汚しておいて、自分だけ安心・安全なものを食べよう、というのはワガママ食、身勝手食だ、と…。自分に回ってくるものを自分が変えるという意識がないと、いいものは手に入りません。

  • 自然食の条件の2つ目は、「自然と自国の農林水産業に貢献できるような食生活」。少しでも安心・安全なものを届けようとしている方を買い支えていく意識がないと、いい世の中は作れません。消費者が価格だけで選択するから、それを提供せざるを得ない。除草剤を使わずに、ていねいに手で草を抜いていたら、1個10円でしか引き取ってもらえないキャベツなど作っていられません。だから、農薬と除草剤をまいて、機械を入れて作らざるを得ないわけです。消費者の方がそういう選択をしてしまっている。また、減反政策で田んぼが放置されると、ひび割れが起き、雨水が入って、地下水と一緒になって土壌がゆるみ、川に流れ込みます。川面が上がり、少しの雨でも増水する。要は、田んぼは灌漑設備の代わりにもなっている。震災前の東北は、このまま30年経つと30兆円ぐらいの灌漑投資が必要になるほどの状況だったそうです。日本全土だと国民ひとりあたり700万円ぐらいの負担になるといわれており、田んぼがあることで自分の生活が支えられていた面もあります。

  • 自然に対する姿勢、生産している方々に対する選択、それがあってはじめて、自然食の条件の3つ目、「自然が与えてくれた食生活」、自分の身体や環境に合わせて食べものを選ぶことができます。その考え方は、ご先祖様が食べていたもの。自分の身体を見て、食べ物を考えていきましょう、ということです。「百姓屋敷わら」では、JAの直売所で買ってきたものなども使います。もちろん自分たちが無農薬で作っているものがたくさん採れていれば出しますが、有機・無農薬が売りではありません。ただ、これは、「本当の自然食の考え方とは」というひとつの提案で、船越さんや私がいうことが絶対の真理だと思っているわけではありません。みなさんが気に入った部分があれば持ち帰って考えてください。とにかく、まず、最終的な決定権を持っている人が変わらない限り、そこにヒモづく人々は変われない、ということです。
◇「晩発性(ばんぱつせい)」とは
  • 私は毎月、お医者さんと心理学士の方と3人で、内部被爆に関するセミナーをボランティアで行っています。食事でどうクリアするのか、医学的にどう考えるのか、意識でどう変えるのか、といったことをお話ししているのですが、その中で、キーワードとして出てくるのが、「晩発性」という言葉です。「晩発性」とは、甲状腺がんのように、晩年に発生するもの。食べてただちになるのではなく、積み重なってなるものをいいます。昔からあった言葉ですが、放射性物質の問題が出てきてから、この言葉が脚光を浴びるようになりました。

  • お医者さんによっては、放射性物質の問題が1だとすると、農薬、化学肥料、それ以外の環境問題は100だという方もいます。食品添加物、電磁波、公害など、それ以外にもさまざまな問題があり、一概に放射性物質だけががんの原因になっているわけではありません。ですが、今、このタイミングでセミナーをする機会が与えられているというのは、ひとつの重要なきっかけをもらったのではないか、と感じています。
◇八百屋は世界を変えられる仕事
  • 日本は、農薬と化学肥料、食品添加物の使用量がダントツで世界一です。それから、フードマイレージの距離も世界一。さらに、食糧廃棄量も世界一という、まったく誇れない3つの「世界一」を持っています。不自然なものをどんどん使い、世界中から食べ物を集め、その食べ物を捨てている、というすさまじい状況にあるわけです。日本がこれほど大きく変わったのは昭和30年以降で、たった50〜60年です。でも、今はスピード時代。ちょっと前までは「ドッグイヤー」といって、昔と比べ、1年が7年分だといわれていました。今は、「マウスイヤー」、1年が18年分。今後はそのスピードで変われる可能性がある、ということです。バーチャルで繋がりもありますから、ひとつの選択を変えるだけで、変われるスピードは50年前とは全然違うはずです。自分自身も含め、みなさんと選択肢を少しずつ変えていくだけで、50〜60年も経ずに、すごくいい世の中が作れるのではないか、と思っています。

  • いい世の中を作るには、特別なことをしなくてもいいんです。食べるものを変える、何を買うかの選択肢を変えるだけでいい。例えば、スーパーに行ったとき、選ぶものを変える。もしくは、スーパーに行かずに商店街に行って信頼できる人から買う。さらにいうと、その向こうにいる方々について知って買うとか、消費する方が選択肢を変えるだけで、世界はガラッと変わる。そこに一番近いのが八百屋さんではないでしょうか。スーパーではお店の人に話しかけることもできませんし、コンビニではバイトの男の子に「この野菜どこの? どんなふうにできた野菜?」と聞いても答えられるはずがありません。八百屋のみなさんが学ばれたことを発揮できる場というのは、これから、世界を変えていくのに必要なんです。私が一生懸命講演会で話すより、みなさんが日々お客さんに接してお話するほうが、世界を変えるスピードはよっぽど上がる。八百屋さんにはそれだけの仕事ができる、と確信しています。

  • 私がこういう活動を始めて、まだ、1年8ヶ月ぐらいしか経っていません。最初は自宅で友達に料理を出すことから始めて、今は、料理教室を開いたり、出張料理に出かけたり、全国各地に呼んでいただけるようになりました。1年8ヶ月でそこまで変わるわけです。先日はイベントで100人に料理を出したのですが、それも最初の頃と同じ、2つ口のコンロしかない自宅の狭いキッチンで用意しました。何かのうねりを作るのに、お金や場所が必要、ということはないんです。自分が今あるところで、できる限りのことをやれば、大きなことにできる。また、何十年という長いスパンで考えなくても、意識を変えることができる、と信じています。今、私は、足元から世界は変えられる、と自信を持っていえます。そのときに一番大事なのは、[何のために]やるのか、ということ。仕事は収入の手段だと捉えてもいいですが、何のためにその収入を得る必要があるのか。ただ単に生きて、ごはんを食べて、死ぬために生まれてきたわけではないはずです。何のために、ということを常に頭の中に響かせ、それを掘り下げていくと、やっていることの勢いが上がってくると思います。

  • 「世界がもし100人の村だったら」という文章があります。70億人の人がいる世界を100人の村にたとえるとどういうことになるか、という内容で、アメリカから発信され、世界中に広がっています。その一部をご紹介すると、「もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら…あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています」。つまり、世界のトップ25%に入ります。また、「もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです」。ただ普通に日本で人並みに呼吸をしているだけで、世界の8%に入っているというわけです。明日の食料すら手に入らないという人が圧倒的に多い世の中で、それが満たされているとしたら…。このタイミングでこの場所に生まれてきて、自分は何のために生きるのか、何のために働くのか、何のためにこれに携わるのかを考えることが求められている場所に、私も含め、みなさんはいるのではないでしょうか。

  • 私は前職で人事も担当していたので、目標達成とか成功哲学を取り入れ、高い目標を掲げてそれを達成していく、という成果型の制度を作ってきました。それもひとつのやり方ではありますが、むしろ、何のためにそれをやるのかを突き詰めて考え、目指していくと、それに従って自然と目標もできます。今、八百屋さんのお仕事で、日々FAXのやりとりをしたり、野菜を販売したりしていることは、人から見れば単なる作業かもしれませんが、何のためにそれをやっているのかがはっきりしていれば、その瞬間に喜びを感じられます。あえて幸せを求めなくても、日常、やれることをやっているだけで、幸せに満たされます。自分が関わる人の選択肢を一緒に変えていく、という気持ちでやっていれば、「これは世界を変える作業だ」と、思っていただけるのではないでしょうか。

  • この仕事を始めて、最初の頃は、自分のコンセプトに合った仕事だけを選び、ほかはお断りしてきました。相手側がだんだん理解してくれるようになると、私のテーマに合うように形を変えて提案してくれたり、誰か別の人を紹介してくれたり、無駄がなくなっていきました。もちろん、お付き合いする方は全員ではなくなりますが、その分、濃く、スピーディーに、いろいろなことが広がっていく気がします。自分が何のために仕事をするのか、何のために生きていくのかを突き詰めて考え、それを意識しながら仕事をするだけでも、自分の回りに集まってくる人が変わります。ですから、今いるお客さんや、今回りに見える方々だけを意識しなくても、自分の考えや行動が変わるだけで、付き合う方は変わるし、新しく出てきます。お子さんやお孫さんに胸を張って、「大人になるっていいことだよ」といえるように、自分が本当にやりたいことを突き詰めていただければ、と思います。

  • 私は今も過去も、すべて意味があって繋がっている、と思っています。ここでこうしてお話しした私の経験も、全部繋がっていて、回り回って役に立っている。ですから、みなさんがこの八百屋塾に来て学んでいることに、今、この瞬間に価値を見いださなくてもいいと思います。自分が何のために…、と何度も問いかけていくだけで、八百屋塾にいたことがすごく意味のあることだった、と気づく瞬間があるはずです。アップルのスティーブ・ジョブスも、「点と点で、なぜ自分がそれを選んできたのかはわからないが、振り返ると全部一本の線で繋がる」といっています。心の底からやりたいと思うことを、信念に基づいてやれば、後で振り返ったとき、過去は全部意味のあるものになる。今日、この場でみなさんとお会いしたことで、野菜の持つチカラが世界を変える、と思いながら仕事をする方がひとりでも増えればありがたいですし、私もその仲間にしていただけたら、これほど嬉しいことはありません。
 

【八百屋塾2011 第12回】 修了式講演「野菜が世界を変える」塾生挨拶実行委員挨拶ベジタブル・パーティー