■2016年3月13日 第12回 修了式 〜 講演「野菜の気持ち、命の食」 国境なき料理団代表 本道佳子氏

 おはようございます。「本」に「道」と書いて、「ほんどう」です。料理人をしています。三金さんには、昔からお世話になっており、何かあると野菜のことを相談しに行っています。

 私は25歳のときアメリカに渡りました。料理人を目指して日本で働きたかったのですが、まだ女性は家庭に入るべき、という風潮が残る時代の最後ぐらいだったので、「シェフになるなら主婦になれ」といわれました。そこでアメリカに行き、10年いて、2000年に帰って来ました。

 2年ほど前までは、湯島天神の隣で「湯島食堂」という店をしていましたが、私はいろいろなところに行くのが性に合っているので、店は閉め、今は日本全国、呼ばれれば海外にも行って料理をしています。

 私自身は肉も魚も食べますが、料理は野菜だけで作っています。世界にはベジタリアンと呼ばれる野菜しか食べない人がけっこう増えていて、その中でも、一番縛りの厳しいのは、卵、牛乳、チーズも使わず、野菜、海藻、雑穀だけで料理をするビーガンというスタイルです。

 私はアメリカにいた頃、世界の企業のトップもよく来るようなレストランで料理を作っていました。おいしい肉も魚もあって、野菜料理をオーダーすると、特別に作るので、かえって高くつくのですが、あえて野菜しか食べないんです。理由を聞くと、昼に肉や魚を食べると、午後からの仕事のパフォーマンスが下がる。野菜だけで身体を軽くして、午後からの仕事もスムーズにいかせるために野菜だけなんだ、と聞きました。それが今から25年くらい前のことです。

 今、日本にもベジタリアンが増えてきました。それなのに、日本には野菜料理のレストランが少ない。世界中のベジタリアンの人は、日本に来ても何を食べたらいいかわからず困っています。外国の方が、コンビニの商品の裏の表示を見てもよくわかりません。結局、バナナやりんごを食べたりしています。

国境なき料理団代表 本道佳子氏

 台湾にある、なかなか予約が取れないという人気のレストランは席数がとても多いバイキング形式のお店で、野菜料理だけです。野菜料理が常時100皿以上も並び、1日に何回転もすると聞きました。東京オリンピックもあるので、東京にもそれぐらいの規模の野菜料理のレストランができるといいのに、と思っています。

 徳島の山の中に、千葉から移住した40代くらいのご夫婦がやっている小さな宿があり、そこは野菜料理だけ、ビーガンの宿です。もともとJICAにいたご主人なので、うちは野菜だけの宿です、と世界中に英語で発信したところ、トリップアドバイザーというサイトでも大人気のおすすめの宿になり、世界中からお客さまが来ているそうです。世の中は野菜の時代なんです。山形の人気シェフ、奥田さんとも、東京に野菜料理だけの店を作りたいね、という話をしています。

 私は、国境なき料理団というNPOを作って活動していますが、被災地や紛争地に行って料理をするのではありません。初めて会った人とでも同じ食卓を囲むことで、おいしかったね、楽しかったね、と、幸せの波動が県も国も国境も越えて、遠い国まで平和にしたい、という考えがもとになっています。

 野菜をたくさん食べると身体にもいいし健康になります。八百屋さんは、世の中をよくすることで稼いでいただく商売です。野菜の知識を持ったプロフェッショナルがいて、消費者が何でも相談できる。町になくてはならないステーションのような存在ではないでしょうか。体調不良で病院に行く前に、「今日はちょっとこんな体調なんだけど、何を食べればいいかしら?」と、八百屋さんに相談できるようになってほしい、と思っています。

 私は、病院で末期がんの患者さんとご家族のために、「最後の晩餐」という食事を作る取り組みをしています。末期だと食事もあまり食べられない方が多いのですが、「野菜ですから、食べてみてください」と言うと、最初はおそるおそるでも、野菜本来の味を生かした素直な料理ですから、少し食べると、まだ自分も食べられるんだ、と思って、ぱくぱく食べていただけるようになります。たいていの人は、がんになると、これから何を食べればいいのかと勉強し始めますが、病気になって病院に行く前に、町の八百屋さんに相談に行ければいいのに、八百屋さんにそうした機能があればいいのに、と思っているわけです。

 人は食べたものでできている、というのが私の考えで、野菜を多く食べる人は素直だと思います。昔の日本人は野菜を多く食べていたので、もっと素直だったのではないでしょうか。最近は若者の中にも、野菜を多く食べる人が増えてきましたが、もっともっと野菜を食べて、素直な日本人が増えてほしい、と思っています。そうすることにより、地球全体がもっとよくなると思います。

 料理教室や食事会も主宰していますが、すべて野菜料理です。わけもわからず連れて来られただけの男性の中には、「野菜だけで満足できるの?」と言う方もいますが、終わる頃には野菜大好きになって、喜んで帰っていかれます。いきなりみんながベジタリアンになれ、とは思っていません。食べたいものを食べればいいんです。ただ、1週間に1回は野菜だけの日を設けるとか、料理のレパートリーの中で野菜を多く使うとか、そうした取り組みをしていければいい、と思っています。

 元京都大学の西村和雄さんは、野菜や木と話ができる先生です。家の隣で自然農の畑をしていて、私は以前よく通って、そこの野菜を使って料理をしていました。先生は野菜をたくさん食べているので、心が素直なんだと思います。ですから、野菜に寄り添うというか、気持ちをちょっと添えるだけで、わかるようになるそうです。私もそれを信じて八百屋さんやスーパーに行って野菜を選ぶようにしていたら、野菜から声が聞こえるような気がしてきました。あるとき、閉店間際のスーパーになすときゅうりを買いに行ったんです。そこで、たまたま、にんじんが棚に2本だけ残っていて、なんとなく耳を添えてみたら、話が聞こえてきました。そのにんじんは先輩と後輩の間柄で、先輩は「わっせ、わっせ」とやたら威勢が良くて、後輩は「まだまだですよねー、先輩、自分たちは必ずいいお家に買われていきますよね!」と、先輩を盛り立てていました。私は、まったくにんじんを買うつもりではなかったのですが、面白いなと思って、後輩のほうを手にとってカゴに入れたら、先輩が「あちゃー」と言って、後輩は「いってきまーす」と言ったんです。しかも、後輩が私に「ありがとうございまーっす!」と。で、私が「先輩はどうなるんだろうね」と尋ねたら、「大丈夫です、先輩は明日お総菜になりますから。気合いの入った先輩なので、明日のお総菜はきっといいものになりますよ!」という言葉が聞こえてきました。

 こんなふうに、いろいろと勝手に想像しながら、楽しく買い物をしています。というのも、料理人はけっこう孤独な世界で働いています。いつも食材の下ごしらえばかりで、どうしてもつまらなくなる。だから、自分が楽しむために、いろいろな想像をして、楽しく料理をすれば、楽しくおいしいおかずになります。

 畑で採れた野菜が箱に詰められて市場に送られ、仲買が買って、八百屋さん、消費者に届くわけですが、私は、その過程が重要だと思っています。「これから大都会に行くんだ!」とがんばっている野菜たちが、途中でガーンと投げられたりしたら、どうでしょうか。野菜には命が詰まっています。そのエネルギーが残ったままの状態で来てほしい。そこに、さらに自分のエネルギーを込めて、食べてくれる人にお出ししたいんです。アメリカから帰って来て、東京のスーパーに並ぶ野菜を見たとき、とてもきれいだけどエネルギーを全然感じない、と思いました。料理人は、いい食材に出逢えればそれでOKみたいなところがあるので、これではダメだと、日本全国いろいろなところに行って、農家さんに会うようになりました。

 一時期、長野に住んでいたこともあります。長野でとてもいい野菜を作っている農家さんのところに行ったとき、小さなジャガイモを全部捨てているのを見ました。規格外で売れないから、送料をかけて町に運ぶより、捨ててしまったほうがましだ、と…。その頃、スキー場のメニューを作っていたので、捨ててしまう野菜を全部引き取ることにして、ワンシーズン、その野菜だけで回したメニューがあります。B級品とかではなく、何かいい名前をつけて、そういう野菜も全部食べるようになればいいのに、と思います。全部食べられるものとしてカウントできれば、日本の食料自給率も少しは上がるでしょう。

 野菜を食べる人が増えると、病気になる人が減り、地球全体がよくなります。日本のおいしい野菜は日本人が食べるためにできています。日本でできた命は日本で食べる、というふうにすれば、ほかの場所から人が来ます。私はそのための場所を作りたいんです。500人規模のレストランとなると、食材を集めるのも本当に大変なので、市場で余ったものを全部引き受けるお店にしたい。キッチンスペースは回りから見ることができるようにして、例えば、「今日は岩手の野菜を、岩手出身のシェフが作っています」というようなパフォーマンスもしたい、と考えています。世界中のもの、日本中のものが東京に集まっているので、東京でなら実現できるはずです。

 湯島で食堂をしていたとき、ちょっと心が落ち込んでしまった方や、悩みを抱えた女性、妊婦さんなど、いろいろな方が来ました。全国各地の農家さんと懇意にしていたからできたことかもしれませんが、お客さまの様子を見て、「この人には根性のある野菜が必要だな」と思ったら、気合いの入った農家さんが作った野菜を使い、「この人にはやさしさが少し足りないかも」と思ったら、やさしい農家さんの野菜で作った料理を出していました。

 私の料理は、野菜の色をそのまま残した料理です。色で食べていただくのが重要だと思って、いろいろな色の野菜を使います。紅芯だいこん、ビーツなどは大好きな野菜です。ほかにも、緑、黄色、白の野菜を使って、あまり煮物でしょうゆ味をしっかりつけたりはしません。また、私は、何百人分の食事でも作るのが得意なので、いつか、八百屋さんの前で料理ができればいいな、と思っています。

 もうひとつの私の希望は、学校の給食費を無料にすることです。未来を担う子どもたちの食は、国や大人がみるべきで、給食費は国が無料にしてほしい。原価500円くらいの給食にすれば、すばらしい食事にできます。もし、日々の生活が大変という家庭の子どもがいても、その給食を1日1食食べていたら絶対に生きてはいけます。内容は野菜が8割、あとはたんぱく質と小魚が少々。病気の方と会うと、野菜を多く、あとは少しの上質なたんぱく質も摂るべきだ、と聞きます。

 海外の八百屋さんは、マルシェが多く、ほとんどが量り売りで、自分で好きなものを取って袋に詰めるスタイルです。消費者サイドからすると使いたい分だけ、いいものだけ買えるのでいいシステムだと思います。ただ、海外の野菜は日本ほどきれいではないので、だからこそできるのかもしれません。日本の野菜がこれほどいいので、日本から飛ぶ飛行機の機内食は野菜にすればいいのに、とも思っています。「チキンorビーフ?」ではなく「チキンorベジタブル?」もありではないでしょうか。

 1年半ほど前に、カリフォルニアのバークレーにいるアリス・ウォーターさんという女性シェフのところで料理をする機会がありました。シェ・パニーズといって、地産地消をアメリカのレストランに取り入れた人です。地元の野菜を多く取り入れながら、走り回っている鶏とか、グラスといって草だけを食べさせている牛肉を使った料理を提供する。当時、アメリカのほとんどの料理人が、そんなものは続かない、と言っていたのですが、彼女がそれを変えました。そのアリスさんに、「日本は大切な国だから、日本の野菜をもっと食べられるように、あなたががんばりなさい」と、言われました。そのためには、「食」だけでなく、「食+教育」が必要で、革命は起こせる、と…。

 日本では、最近、若い人が料理をしなくなった、といいます。私は、湯島食堂で、訪れるみなさんに野菜を食べてもらいたい、と思っていましたが、そけだけではダメで毎日の食事こそが重要だと気がつきました。それで、料理教室をするようになりました。単に料理の作り方を学ぶ教室ではなく、作る人の思いを少しだけでも変えたい。食べたものでその人はできているということ、野菜を多く食べることで素直な人になるということ、野菜を食べるというのは命を食べているんだということ。そうした思いがストンと心に伝われば、家で、それなりに手をかけた料理を作ってもらえるようになるはず、と信じています。

【八百屋塾2015 第12回】 挨拶記念講演「野菜の気持ち、命の食」修了証書の授与塾生の感想茶話会