綱吉公は、将軍家になる前は館林藩のお殿さまで、神田お屋敷がありました。あるとき、綱吉公はかっけにかかってしまいました。かっけはビタミンB欠乏症で、白米ばかり食べているとなってしまうようですが、当時はそんなことはわかっていませんでしたし、人が集まるところにかっけが多いため伝染病ではないかともいわれていました。
自分の息子がかっけで苦しんでいると聞いた桂昌院さま、このときは髪を下ろし筑波のほうのお寺に入ってましたが、一生懸命神さまにお祈りをしたところ、ある日夢を見ました。それを陰陽師に占わせたところ、「病の治るきっかけは江戸城西側の馬にゆかりのある地にある」とのこと。さっそく江戸の綱吉公に御文で伝え、綱吉は家来たちにいろいろ調べさせました。すると江戸城の北西に「練馬」というところがあるとわかり、家来と共に行ってみました。練馬の大百姓の家でお屋敷から持っていったお弁当を使わせてもらいました。そのときに出てきたのが、ちょうどそのころ江戸で流行り始めた「たくあん漬け」でした。綱吉公は初めてたくあん漬けを召し上がり、神田のお屋敷に帰ったら、かっけが少しよくなっていた。たくあん漬けは米糠でつけますからビタミンB1がよく染みていたのでしょう。
綱吉公は、練馬でご飯を食べると元気になるということで、練馬に小さなお屋敷を作らせて、たびたびお出かけになりました。その頃、尾張徳川家からもらっただいこんのタネがあり、練馬のお百姓さんたちにわけ与えたところ、三河では一尺ほどの普通の大きさのだいこんだったのが、土がよほどよかったのか、三尺にもなったため、百姓たちも喜びました。
昭和になり、いろいろな野菜が規格品になっていきましたが、「練馬だいこん」だけは、地元で主にたくあん漬けに使っていたので、規格外でも二股でも全く問題がありませんでした。というわけで、今も練馬の地に脈々とそのだいこんが残っています。
|