■2013年12月15日 第9回 〜 講演「ねぎ」について 群馬県央青果(株)常務取締役
田村善男氏 |
◇全国の野菜出荷量ベスト10 |
- 全国の野菜の出荷量を多い順に挙げると、ばれいしょ、だいこん、キャベツ、たまねぎ、白菜、トマト、にんじん、きゅうり、レタス、ねぎとなっており、ねぎはベスト10に入るほど生産量も消費量も多い品目のひとつです。
- ばれいしょは加工用が多いので、生鮮で考えると、特に多いのは、だいこん、キャベツ、たまねぎ、白菜。30〜40年前は、トマト、にんじん、レタスはベスト10には入っていませんでした。これらが増えているのは、日本人の戦後の食生活の変化の現れだと思います。
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◇最近のねぎの情勢について |
- ねぎは、加賀群、千住ねぎ、九条ねぎに大別されます。
- 全国の作付け面積は、2万3000〜2万4000ヘクタールほど。
- 作型は秋冬ねぎ、夏ねぎ、春ねぎがあり、量的にもその順番で多くなっています。
- 関東では千葉県、埼玉県、茨城県が大産地で、全国的にみても大きな産地です。夏ねぎが多いのは北海道で、秋冬ねぎは群馬県が加わり、その上位5県で大きなウェイトを占めています。
- 東京都中央卸売市場におけるねぎの年間入荷量は、茨城県、千葉県、埼玉県、青森県、群馬県、秋田県の順番で、平成14年(2002年)頃に6万2000トンだったのが、平成24年(2012年)には5万7000トンに減っています。平成22年(2010年)までは千葉県が第1位だったのですが、それ以降は茨城県がトップです。
- ねぎの入荷量のデータを10年前と比較すると、増えている県と減っている県があります。茨城県が1369トン増えて、11%増。青森県が539トン増えて、12%増。群馬県が687トン増えて、26%増。秋田県が826トン増えて、47%増となっています。千葉県は31%減、埼玉県は26%減。秋田県、青森県といった東北の産地が増えているのが特徴です。
- 東京都中央卸売市場における野菜全体の入荷量は、11月のデータでは12万5000トン、前年比96%、平年比92%。単価は250円で、前年比126%、平年比112%でした。このところ非常に野菜が高いというのは、この数字を見てもわかると思います。
- ねぎは6274トンで入荷量は108%、単価は268円で99%。入荷は1割近く増えていますが、単価は前年とそれほど変わっていません。過去10年間の単価を見てみると、平成14年(2002年)は243円、その後、235円、253円、229円となり、平成24年(2012年)は274円。平成22年(2010年)に300円台が一度ありますが、だいたい250〜280円で推移しています。
- 年末のねぎの状況は、入荷量は6350トンで平年の99%。予想単価は270円、前年比103%との見通しです。
- 国内で流通しているねぎの60%は業務加工用です。つまり、家庭で使われているのは40%ほどになります。食生活が変化し、料理を作って食べる人が減っているため、業務加工用が多くなります。業務用のために、産地もいろいろと考えているわけですが、みなさんもそのあたりを頭に置いておくといいと思います。
- 小ねぎの過去10年の入荷量を見ると、平成14年(2002年)の5500トンから、平成24年(2012年)は5100トンと、それほど大きくは変動していません。産地は、福岡県35%、千葉県16%、静岡県12%、大分県11%、高知県7%。この上位5県で77%を占めています。第1位の福岡県は86%とやや減少しており、高知県は54%と半分近くに減っています。高知県、佐賀県も減っています。伸びているのは静岡県で、219%。福岡県に比べると分母が小さいのですが、伸び率は大きくなっています。同じく分母は小さいですが、福島県も295%の伸び率です。震災後、いろいろな面で苦労されていますので、今後の推移にも関心を持ちたいと思っています。
- わけぎの主な産地は、千葉県、埼玉県、東京都、静岡県。全体では1120トンぐらいあったものが283トンと、平成14年と比べると21%に減少しています。ねぎ類の中でも、伸びているものもあれば、わけぎのように減っているものもあります。
- あさつきは、平成14年(2002年)当時130トンだったのが104トンと、2割ほど減少しています。主な産地は、山形県、埼玉県。この2県で93%を占めています。
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◇群馬県のねぎについて |
- 群馬県には、「下仁田ねぎ」、「下植木ねぎ」、「沼須ねぎ」、「石倉ねぎ」といった伝統野菜のねぎがあります。時代の流れの中で品種が変わり、なくなる寸前のものもありますが、何とか残そうと復活を目指して取り組んでいる人たちもいます。
- 「下仁田ねぎ」は、二百数十年間にわたって作られ、長い間守られてきたねぎです。江戸時代に大名や幕府に献上されたことから、「殿様ねぎ」とも呼ばれ、その名前で販売している商品もあります。いろいろなところで作られていたねぎを下仁田町に集めて出荷するようになり、「下仁田ねぎ」の名前がつきました。
- 群馬県には、日本初の官営製糸場である富岡製糸場があり、取引をするためにいろいろな方が来ました。そういう人たちがお土産やお歳暮に使うので、「下仁田ねぎ」がだんだん増えていきました。また、群馬県は日本一のこんにゃくの産地でもあります。こんにゃくや生糸の動向によって、「下仁田ねぎ」の生産も増えたり減ったりしてきました。
- 一時は隣の長野県や埼玉県などで「下仁田ねぎ」栽培に取り組んだこともあるのですが、本来の「下仁田ねぎ」のような味にはならなかったことから、今、産地として残ってはいません。そこで、「下仁田ねぎは下仁田におけ」という言葉が出た、と聞いています。
- 長い間に、ほかの品種と交雑してしまいました。そこで、本来の「下仁田ねぎ」を何とか残そうと、100名ぐらいが「下仁田ねぎの会」を作り、取り組んでいます。
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- 本来の「下仁田ねぎ」は、種まきから出荷まで、1年半かかります。今年の10〜11月頃に種まきをしたものは、翌年の4〜5月に仮植(かしょく)、7月、真夏の暑い時期に再度植え替えをして、11〜12月頃から出荷されます。近年、技術の進歩によって、春まきの無仮植栽培が可能になり、短期間で同じようなものが作れるようになりました。面積も生産者も増えて、かつては130町歩、600戸だったのが、172ヘクタール、1021戸になっています。
- 植え替えをして1年半かけて作ったものと、植え替えをしていないものが同じ「下仁田ねぎ」として評価されてしまうと、生産者としてはメリットがありません。食味は個人差がありますが、食べくらべをしてもらうと、植え替えをしたもののほうがやわらかい、甘いといった感想も聞かれます。みなさんものちほど食べくらべてみてください。
- 昭和30〜50年頃は、「下仁田ねぎ」のほとんどが贈答用で、市場流通はあまりなかったはずですが、面積・生産量が増えると、市場にも出荷されるようになりました。
- 「下仁田ねぎ」は、霜に当たると甘みが増し、葉は枯れてきます。それからが本来の味なのですが、一般の消費者は、葉が青々としたものを好みます。産地としても、量をさばくために早い時期から売ってしまいます。葉先が枯れると見栄えはしなくなりますが、本来は12〜2月が一番おいしいので、新たな規格を作って販売したほうがいいのではないか、と思っています。一部、年内の規格と年明けの規格を変えて出荷しているところもあります。
- 「下仁田ねぎ」には、ダルマ系、西野牧系、利根太系という品種があります。現在は、ダルマ系と西野牧系を交雑した中ダルマ系が主流です。
- 伊勢崎の「下植木ねぎ」は、あまり聞いたことがないと思いますが、「下仁田ねぎ」同様、1800年頃からあるといわれています。
- 伊勢崎には、「伊勢崎銘仙」という織物があり、一時は女性の10人に1人は持っているといわれたほどでした。ところが和装から洋装に変わっていく中で、絹産業は衰退してしまいました。それとともに贈答用に使われていた「下植木ねぎ」も減っています。現在、「下植木ねぎ」の生産者は、15〜16人しか残っていません。地元の農業高校と「下植木ねぎ」の研究をする取り組みが行われています。
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植え替えをした「下仁田ねぎ」
植え替えをしていない「下仁田ねぎ」
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- われわれが見ると、少なくとも形状では、「下植木ねぎ」と「下仁田ねぎ」の区別はつきません。生産者に聞くと、今の「下植木ねぎ」は、昔ながらの本来の姿とはちょっと変わってきているそうです。
- 「石倉ねぎ」は、「赤昇ねぎ」と「鈴木ねぎ」の交配により生まれた、寒さに強く、甘みに富んで、軟白部分が多い根深ねぎです。これも、減少傾向にあります。
- 「石倉ねぎ」は、葉の部分がやわらかく、早い段階で折れてしまうため、畑に機械が導入しにくいという問題があります。軟白部分は短いのですが、食べると非常にやわらかくておいしいねぎです。
- 「沼須ねぎ」は尾瀬の手前の沼田にある沼須地区で作られてきたもので、「石倉ねぎ」と同じようなねぎです。90歳の女性が作っている畑を見に行ったことがありますが、機械でむいて出荷しているところが多い中、手でむいて出荷しており、見ただけでやわらかそうなのがわかりました。
- 全国各地でいろいろなねぎが生産、流通している中で、群馬県にはこうしたねぎがあることをご理解いただければ幸いです。そのほかにも、関東には、それぞれの地区に昔から作られているねぎが残っているのではないかと思います。
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◇その他 |
- 「国分にんじん」は長にんじんの一種で、群馬県の国分地域でタネが作られていたため、この名前があります。
- 昭和40年代頃までは、東京市場でも長にんじんが中心でした。特に、「国分にんじん」は、昭和30年代、全国の8割近くを占めていました。
- ライフスタイルの変化や、長いため買い物かごに入らないこと、短い西洋にんじんが入ってきて急激に切り替わったことなどにより、「国分にんじん」は減少してしまい、今、作っている人が1人になってしまいました。何とか残そうという取り組みが始まり、本年はようやく1町歩になりました。実際に食べてみると、短根にんじんとは間違いなく味が違います。
- 市場には、規格に合わないと出せません。農家は出荷できないものもも販売できないとやっていけませんから、「国分にんじん」のジュース、ドライといった加工品を作っており、だいぶ軌道に乗ってきたところです。
- 料理を作らなくなり、野菜の消費が減っています。でも、保育園や幼稚園で、「国分にんじん」を種から自分たちで育てて給食に使うと、子どもたちも残さず食べてくれるそうです。小さい頃からの食育が大切ではないでしょうか。
- 在来の「こんにゃくいも」は、今や手に入れるのが大変難しくなってしまいました。大きくなるのに2〜3年、製品化に4年ぐらいかかるそうです。在来種は、病気に弱く、大きくならないことも多い。改良種は2年ほどで出荷できるようになります。改良種は、だいこんを切るときのように包丁がスッと入るそうですが、在来種はデンプンの含有量が多いため、包丁がなかなか入らない、と聞きました。
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◇質疑応答より |
Q:千住ねぎ群、加賀ねぎ群などの違いは?
A:加賀群は分けつしません。千住群は、一般的に出回っている、いわゆる一本ねぎです。まったく分けつしないわけではないと思いますが、少ない。九条系統は、あさつき、わけぎのような分けつするねぎです。
Q:関東の人たちはねぎの青い部分を食べたがらないのですが、産地ではどうなのでしょうか?
A:産地では、味噌汁や鍋にするとき、青い部分も使っています。栄養価は青い部分のほうが高いので、本当は食べてほしいと思います。ただ、大量生産、大量流通となると、扱いやすさ重視で、規格の箱に入るようにする傾向があります。八百屋さんにもぜひ声を上げてもらいたいと思います。
Q:干ばつの年と雨の多い年、ねぎにとってはどちらがいいのでしょうか?
A:野菜には、「干ばつに不作なし」という言葉があります。干ばつのときのほうが作柄的にはいいと思います。曇雨天が続くと不作になり、単価も高くなります。
Q:「下仁田ねぎ」は、霜に当たって葉が枯れたようになるとおいしくなるということですが、葉が青々としたものも置いておくと葉がしなびてきます。それもおいしくなるのでしょうか?
A:しっかりと分析をしないとはっきりしたことはいえませんが、霜に当たって甘くなったものと、収穫後にしなびてきたものでは違うと思います。
Q:千葉県、埼玉県のねぎの生産量が減少していて、東北が増えているということですが、その原因は?
A:かつては、関東1都6県に福島県、山梨県を加えた県で、東京市場の50%以上を占めていたのですが、あるときから、それ以外の遠隔地が50%以上を占めるようになりました。宅地化が進みドーナツ化現象で産地が遠くなったこと、気候の問題、産地の高齢化、また、輸送などの技術の進歩もあると思います。
Q:「下仁田ねぎ」の植え替えありと植え替えなしでは、品種が違うのですか?
A:「下仁田ねぎの会」は自分たちでタネを採っていますが、タネ屋さんでも「下仁田ねぎ」のタネは販売しているので、タネ屋さんもいろいろと研究しているとは思います。価格の問題から、今、市場流通しているもののほとんどが植え替えしない「下仁田ねぎ」で、ただ、味や食感の面から、植え替えしたものを評価して、買ってくれる人もたくさんいます。
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