福島県の中通りは、関東に一番近い特Aのお米の産地です。われわれは、漢方で作っているお米「天栄米」と、アンデス原産のヤーコン、長ネギの3つを軸に、ブランド化を推進しようとしているところです。本来は「岩瀬キュウリ」の産地で、一時は50億円ぐらいの売上げがあり、全国の5%を占めていました。夏場の関東のキュウリは、半分以上が「岩瀬キュウリ」だったと思います。「岩瀬キュウリ」は、来週から出荷が始まります。
お米のブランド化の話に戻りますが、WTOがきっかけとなり、お米が輸入自由化されたら、天栄村の800ヘクタールの水田もなくなってしまう、ブランド化して最後まで残れるようなお米を作ろう、と考えました。平成19年に、約100軒の農家に出ていただいて、お米の全国コンクールを開催しました。全国から約2000点集まった中で、第1回目にもかかわらず、天栄村の生産者が特別優秀賞を受賞することができました。これがみなさんの自信にも繋がって、おいしいお米を作ろう、という意識が高まりました。それまでは、収量を狙っていた。1俵が同じ値段だったら、農家としては、8俵より10俵取れるほうがえらい、という認識でした。
村でコンクールを開催したことにより、「村内のおいしさ度分布は間違いだった?」とか、「慣行栽培、特別栽培、有機栽培のお米の味の違い」といった、新たな事実と問題も出てきました。今日持ってきた天栄米は、後ほどご試食いただきます。特に、有機栽培のお米はおいしい。お米はこんな味がするのか、とよくおわかりいただけると思います。
その頃はまだ、有機無農薬栽培ができていませんでしたので、紙マルチ田植機を導入しました。紙を敷きながら田植えをする機械で、除草剤を一切使わないで済みます。ただ、紙代が高いので、コストはかかります。これまでは殺虫剤をまいていたのですが、ハーブを蒔いて、稲のにおいを消し、虫が来ないようにしています。
今、天栄村では、漢方未来農法で、なだ万の総料理長さんにも「抜群だ」といわれるお米を作っています。作付は、約5町歩。1キロ1000円で収穫から3〜4ヶ月で完売していたのですが、現在はなかなか売れません。
「日本一のお米を作ろう」と始めて、3年目に天栄村から日本一の方が3人出ました。今は、4年連続で日本一を取っています。
天栄村は、「環境王国」第1号にも認定されています。羽鳥湖の水は、約4000ヘクタールの水田を潤しています。これは、人の手で作った日本最大の湖です。われわれが特に気をつけているのは、源流を持つ最上流地域の使命として、きれいな水を汚さずに下に流す、ということです。
お米については、特別栽培米と有機栽培米で、慣行栽培をゼロにしよう、と取り組んでいます。特別栽培米は120ヘクタールまで伸びたのですが、原発事故で、今年はやや減っています。水田が耕作放棄されると、荒れてしまいます。もう1回もとに戻すには、重機を入れて、最初から田んぼを作るのと同じになってしまいます。
2011年3月11日、私は役場にいました。天栄村では震度6強、何かにつかまっていないといられないような状態で、すぐ目の前で家屋が倒壊していきました。夜は避難所の見回りなどをしていたのですが、12日に福島原子力発電所の1号機が爆発したのをテレビを見て、「なんだこれは?」と思いました。最初は避難が5キロ圏内で、10キロ、20キロとなり、私たちの村は71キロ離れているので、大丈夫だろう、と思っていました。地震から1週間ぐらいは水が出なかったので、外で復旧作業をしていて、そのとき、雪や雨が降っていましたから、おそらく、すごい被爆しているだろうと思います。作業中は考えもしませんでしたが、終わって1週間後に、天栄村役場の前の空間線量が5マイクロだ、との県の公表値が出ました。
結果的に誤報だったのですが、3月31日に、天栄村の牛肉から初めてセシウムが検出された、とテレビで流れたときは、ショックで寝られませんでした。包装資材についていたものが検出された、ということがわかり、安堵しました。
地震の記憶もだんだん薄れてきたかもしれませんが、私は、今も、東京に来るのがすごく怖いです。地元ではないので、ここで地震が来たら、逃げられない。そういう気持ちは、あの日以来、ずっとあります。
3月11日を境にして、郷土への愛着が強まったと思います。桜の花は毎年同じように咲きますが、2011年は、桜の色がとても悲しい色に見えました。天栄村では、移転した人はほとんどいません。ここで生きていく、と覚悟を決めていますので、どうやって子どもたちを守っていったらいいか、ここでどうすれば生活できるかを一番に考えています。奇跡でも起きない限り、もう一度同じ状態には戻れないだろう、そう思いながらも、復活に向けて、今、なんとかやっています。
3月11日以前の自然豊かで美しい環境を地域に取り戻すために、
お米と野菜を作り続けました。 作らないほうがよい、といわれる方もいますが、1年休むと、データが取れません。ですから、去年は、どんな結果が出ても、必ず作ってデータを取ろうと、カリウム、ゼオライト、プルシアンブルー、微生物で対策をして、作りました。最初は、微生物に期待していたのですが、残念ながら、効きませんでした。今、安全は自分たちで作り上げていく、という意識がすごく強いです。
役場には、放射線量を測る機械が計9台あります。生産者の方が野菜を持って来るところ、給食センター、学校、直売所などですべて数値を測っています。「素人が測るだけでわかるのか」といわれてしまうのが一番嫌なので、第3種の放射線取扱主任など、資格も取ってきました。
すべてはデータに裏付けされるのではないかと、昨年から測っている検体数が1200を超えています。中には出ているものもあります。ただ、お米に関しては、400検体測って、すべて未検出。キュウリもNDです。キュウリは生のままでは測れないので、乾燥機を買いました。60℃で30時間乾燥すると、100グラムのキュウリが3グラムになります。それを圧縮した状態で測っても、1ベクレルも出ません。それが現状なのですが、わかっていただけない。
福島県内で、昨年、お米の作付が禁止になった区域や、お米からセシウムが検出された地域もありますが、天栄村だけは、ありがたいことに、農家のみなさんの努力で、お米からはまったく出ていません。対策をすれば、セシウムは吸収されない。われわれは、「吸収抑制」と呼んでいますが、これさえすれば、除染は必要ないのではないか、と思います。
除染というのは、放射線物質の崩壊スピードをどうやって超えるか、ということなので、そのスピードより早くやらなければ意味がないわけです。
稲藁は、若干、出てしまっているところもあります。今年は、稲藁をゼロにします。稲藁と玄米は、93:7の関係で、稲藁がゼロになれば、玄米は絶対にゼロですから、そういうものをみなさんにお示ししながら、今年も売っていこう、と思っています。
こうした苦しい中でも、農家の方たちは、放射能をゼロにするだけでいいのか、やはりコンクールで日本一になりたい、という思いで作っています。先ほどのビデオに登場した男性が、去年の日本一です。彼は、対策としてカリウム、ゼオライト、プルシアンブルーなどをまくときも、これによって食味が落ちるのではないか、と心配していました。そういうチャレンジ精神があるからこそ、いいお米が採れる。
去年、群馬県の川場村で行われたコンクールでは、約3070点のうち、最終審査に残ったのが40人、そのうちの1割、4人が天栄村でした。その中から、先ほどの男性、石井くんが1位になったのですが、日本一が取りたい、今取れなかったら、本物ではないんじゃないかと、一生懸命でした。食味90も5人以上出ました。90はほとんど出ない。タンパクでいうと6.0を切ります。狙って取れるのであれば、本当に素晴らしい。私たちは、こういうお米をずっと作り続けていきたい。
昨年の実験ですべての検査米がNDだったので、今年は、ゼオライトを全部の田んぼに配りました。プルシアンブルーは、紺青の顔料です。分子構造がセシウムと似ていて、ぴったり合う。水の中にセシウムが入っていたら、99.9%取れます。不織布を染色して水に入れ、まずはプルシアンブルーで水の浄化をして、次にゼオライトで吸着し、翌週からは、カリウムを使って、作物が間違ってセシウムを吸わないようにします。今、その3点セットで対策をしています。この3つがあれば、ゼロになるのは間違いありません。
こういったことをみなさんによく理解していただきたい。販売するときに、消費者の方にきちんと説明できないとなかなか難しい。ただ検査を受けたから安心だ、というのではなく、こういう作り方なので安全であることを消費者の方にもぜひ知っていただきたい、と思っています。
3月11日以降、有機栽培など、こだわって作っている方が一番大きな被害を受けています。うちの村でも、30年かけてキャベツを有機にした方が、3月24日、福島県の結球野菜がすべて出荷停止になった翌日に自殺しました。農家の方は、自分の土地や食べ物に、本当に愛着を持っています。その方は60歳でしたから、戻れないと思ったんでしょう。もし、きちんとした情報さえあれば、あんなことはなかっただろう、と残念です。ですから、われわれは、こうしていろいろな方々に説明して回っています。
日本にはまだ54基原発があります。どんなことがあっても、そこから逃げ出さずに、きちんとものを作っていけるよう、われわれが道標になれたら、と思っていろいろ取り組んでいます。小さな力ですが、今、現場でしかできないこと。ですから、福島で実験をして、みなさんにきちんとわかってもらって、その農家の努力を理解して、買っていただきたい。農家さんにだって、家族もお子さんもいるんですから、いい加減な作り方はしません。
土地や作物を取り戻し、福島に来て支援をしてくださった方々に、安心してもう1回来ていただきたい、という思いがあります。
自分たちの目標は、安全で安心しておいしいといっていただけるようなものを作って、生活していけること。それを理解されるように、ちゃんと努力をした上で、みなさんに理解していただきたい。
土壌の浄化も進めています。栽培暦を作って、みなさんにお配りして、安全の基準を作ろうとしています。100ベクレルは安全だ、といわれていますが、納得していただけない。できればNDだ、ということなので、NDが今の大きな目標です。その上で、日本一おいしいお米や、おいしいキュウリを作る。それが農家の自信にもなります。
今まで、福島は目立たない地域でした。カタカナで有名になってしまった「フクシマ」から、また目立たない漢字の「福島」、地味な「福島」に戻れるようにしたい。そして、みなさんの記憶に残るように、これからも頑張りますので、よろしくお願いします。
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